日本に「かるた」が伝わったのは室町時代後期。キリストや鉄砲とともに、ポルトガル人によってもたらされました。カードはポルトガル語で「Carta」(かるた)といいます。カルタが入ってくる前から日本には、二枚貝の貝をあわせる「貝覆い(おおい)」という貝遊びがあり、これとポルトガルから来たカルタと融合し、日本独自のカルタが出来ました。
当初出来たのは、上の句と下の句の和歌の札を合わせる「歌カルタ」。江戸時代には百人一首を題材にするようになり、絹地の札に金箔を散らした華やかなカルタは雅な世界を楽しむ物で、貴族や大名などが有名な絵師に絵を依頼し、文字は名筆の手になるもので、箱も金蒔絵などで特別にあつらえた「豪華な嫁入り道具」の一つだったのです。
その後、カルタは大名や武士、そして一般庶民にも広がりました。
カード遊びには賭け事がつきもの。江戸時代、幕府は風紀を乱すとして、カルタに禁止令を出しました。しかし、デザインを変えるなどして、カルタづくりは禁止令をかいくぐって続けられ、禁止令とイタチゴッコが繰り広げられました。そしてカルタ作りの職人たちが行き着いたのは花札でした。一月・松、二月は梅、・・・十二月・桐と日本の四季の花や生き物に置き換え、絵札に数字の意味合いを持たせたのです。
上毛カルタは昭和22年、前橋中学出身の浦野匡彦(後に二松学舎大学長に就任)が提唱し、上毛新聞社で構想を発表し、県内各方面から題材を募り作られたもので、人物としては新島襄、内村鑑三、関孝和、新田義貞、田山花袋、地理・風物では上毛三山、草津・伊香保・四万などの名湯などが取り上げられ、遊びながら群馬のことがわかるようになっています(英語版もあり)。現在でも多くの競技大会が開かれているのは皆さんご存知の通りです。
群馬県内の子どもたちは、毎年2月に行われる上毛カルタ県競技大会に向けて、冬休みを利用するなどして練習に励みます。そのため群馬県生まれの人は殆んど、この上毛カルタを暗記しているといってもよいでしょう。転勤等でこの地を離れる方は、この上毛カルタを求めて、群馬のことを思い出していただければと思います。
※上毛かるたは書店などで840円
(財団法人群馬文化協会発行)、英語版は1,680円で販売されています。
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