「地図に残る仕事」というCMのキャッチコピーを思い出した。巨大な土木建築は、地図を書き換える。それが、ずっと残るとすれば、やりがいがある仕事なのだろう。 2200年以上も前に、今に残る土木事業が行われた。先の四川大地震で被害を受けた四川省にある、水利施設・都江堰がそれ。水利施設そのものは、地震でも大きな被害を受けなかったという。2200年前の土木技術力のすごさだ。 四川省を流れる岷江を見下ろす青城山。そこから眺めると、川の中に中洲がある。上流側の先端が、少し曲がってとがっている。とがった部分は「魚嘴(し)」という。魚の口に似ている?でも嘴(くちばし)は鳥だよな、と思いながら、青城山からつり橋を渡って、中洲の先端近くに行ってみた。展望台のようになっていて、そこから魚嘴をみていると、先端ではぶつかった水が渦を巻き、左右に分かれるように流れていくのが分かる。 たったそれだけで、というところがミソのようだ。魚嘴と中洲のおかげで水流が調節され、用水路にいった水を農業用かんがい用水に利用する。コンクリートを大量に使って用水路を作る現代の工事からみれば、なんとも自然に優しい、自然を利用した施設を簡単に紹介しよう。魚嘴で左右に分かれた流れは、右に行くと外江(本流)、左に行くと用水路用の内江に分かれる。中洲には「金剛堤」と呼ばれる堤があり、建設当時は竹かごに石をつめた、いまでいうテトラポッドを積み上げて、木の柵で固定したという。当時のものが青城山の廟(びょう)に展示してあったが、こんなもので、と驚かされる。金剛堤の下流部分にあるのが「飛沙堰」といい、岷江の水量が多くなると、内江に流れ込み過ぎた水を外江に戻すとともに、土砂をたまらないようにしているという。この原理はうまく説明できないが・・・。内江に入った水は「宝瓶口」という用水路の入り口に誘導され、四川の地に引き込まれ、土地を潤した。 この工事、50年近くを要したという。周辺住民を指揮したのが、秦の蜀郡太守李氷とその息子。2代にわたる大工事だった。 始皇帝が中国を統一する前の話というから、壮大な話だ。現在は元々の位置から少し下流にずれ、魚嘴もコンクリートになっているようだが、構造的には当時のままで、もちろん現役だ。外江には現代のダムもできている。 その李氷親子の偉業をたたえているのが、青城山にある「二王廟」。道教の神が祀られているが、青城山自体が道教発祥の地の1つという。二王廟の周りには、道教寺院などの建物が、森の中に点在している。 都江堰によって四川(蜀)は農作物に恵まれ「天府の地」と呼ばれたそう。三国志の時代、諸葛亮孔明がこの地を三国の1つに求めたのも、都江堰があったからこそ。ピラミッドや万里の長城など巨大建造物も見事だが、生活に密着した土木事業は地味ではあるが「地図に残る仕事」の手本のように感じる。
臥龍で過ごした半日あまりが、生々しくよみがえってきた。大きな被害をもたらした2008年四川大地震。被害が大きかった地域のひとつに、臥龍がある。世界遺産に登録されたパンダ自然保護区の中に、1000頭ほどまでに減ってしまったという大熊猫(パンダ)を保護するため、パンダ保護研究センター(中国保護大熊猫研究中心)が建てられている。地震が起こった当初、報道によると飼育小屋32のうち、14棟が全壊、残りも大きな被害を受け、飼育員の方も亡くなったという。86頭のパンダの無事は確認されたが、ケガをしたパンダがいたという。 臥龍には、2003年に行った。パンダの古里の真ん中だけに、周囲は切り立った崖や山に囲まれている。大熊猫研究中心の入り口には、パンダの生態などについての説明板がある。門をくぐると、いよいよパンダとの対面となる。広場といった感じのところに、いきなりパンダがいる。たぶん、成獣だろうか。残念ながら、日本でパンダを見たことがなかったので、パンダに出合った瞬間「あれがパンダ?」と、思ってしまった。確かに、映像や写真などでみたのと同じ、白と黒の巨体、愛敬のある顔。初めて目にする時というのは、案外こういう感じなのかもしれない。 ちょうど、食事の時間だった。飼育員がリヤカー竹を積んで運んできて広場に降ろすと、遠くの方にいたパンダたちも寄ってくる。食事の仕方は、なんともほほえましい。ラッコのように仰向けに寝そべったり、ちょこんと座ったりして、竹を前脚で持って、器用に口に運ぶ。説明板によると、パンダの手の平には第6の指といわれる肉球があり、そこに挟むようにして竹を持つという。主食の竹は何でもいいというわけではなく、食べる種類が決まっているとか。施設の回りの集落では、そうしたパンダのえさになる竹を育てているという。1日数十キロの竹を食べても腸が短いので、ほとんど消化できないのが、パンダが減っていく理由の1つにもなっているらしい。何でも食べる人間とは違って、生きにくいために、絶滅の危機に瀕しているということだろうか。 広場の回りには飼育小屋、パンダ舎が並んでいる。表札には、パンダの名前ともう1つの名前が掲げられている。そのパンダの里親の名前で、日本人と思われる名前もみえる。飼育や管理などの費用を一定額負担することで、そのパンダの「親」になれる制度。興味のある方は、日本パンダ保護協会のHPなどでどうぞ。 研究所のようなところに入ってみると、生まれたばかりのパンダが飼育器の中にいた。手の平に乗るぐらいのサイズ。まだ自力では歩けないのだろうか。それでもしっかりと、パンダ色をしている。裏手には、子どものパンダ用の広場が広がっている。いろいろな遊具があり、そこで3、4歳ぐらいのパンダが遊んでいる。木登りで先を争ったり、滑り台のようなものに乗ったり、時にはけんかもするなど、人間の子どもと同じよう。たぶん、1日見ていても飽きないだろう。 400元(約6000円)で、この子どもパンダを抱いて写真を撮らせてくれた。これも、飼育費の財源の1つだという。あの子どもパンダたちは、元気だろうか。
観光地にいって写真を撮る。ひどい観光ガイドになると、写真を撮ればお客が満足すると思っているようだ、という経験をお持ちの方もいるのでは。ただ、どうしても自分で撮る写真が、絵葉書のようになっていることは否めない。アルバムにも、風景写真か、集合写真っていうのが、どちらかといえば多いのでは。ピサに行くと、写真は楽しむものだというのが分かる。 「斜塔」のある街へは、フィレンツェから半日ツアーで行ける。電車でも1時間ぐらいという。たいていは、斜塔のみがクローズアップされるので、周りに何があるかよく分からないが、メーンは大聖堂(ドゥオモ)。その隣に建てられた鐘楼が、通称「ピサの斜塔」。大聖堂の付属の建物だが、傾いたおかげでこちらの方が有名になった。 1173年から建設が始まったが、4階まで造ったところで傾き始めたという。原因は地盤沈下。地盤に硬いところと軟らかいところがあったかららしい。その後、まっすぐにしようと設計変更もされたが、修正できなかった。当初は100メートルの予定が、1372年に完成したときは、高さ55メートルと予定の半分ぐらいになってしまったという。最上階だけは地面に垂直に建てられているので、なんだか上と下でバランスが悪く見える。それも、斜塔を危なっかしく見せる演出だとしたらすごい。 斜塔を世界的に有名にした、有名な逸話が、ガリレオの実験。重さの違う石を落としても同時に地面に着くという自由落下実験をした場所として知られる。その後も年々傾きを増し、行ったときは傾きを止めるための工事が行われていた。せっかく大小の石を拾っておいたのに、残念ながら塔に上れなかった…まあ、実際に落とすのは無理か。2001年に工事は終了して、いまは人数制限があるが上れるそう。イタリアからの報道によると、今後300年は持つというので、これから行こうと思っている方は心配無用だ。 大理石でできた、白い塔は青空にはえる。メーンの建物、ドゥオモの白さも鮮やか。柱とアーチを組み合わせた外観も美しい。ドゥオモの中には入る。薄暗い中に光るランプの揺れから振り子の法則を発見したという「ガリレオのランプ」。どうやら、ガリレオはここでいろんなことを発見したらしい。後世のねつ造という説もあるが。 さて、その大聖堂の前にある広場。芝生がきれいに刈りそろえられ、寝転ぶにもちょうどいい。そこにいた先客たちがはしゃぎながら写真を撮りあっている。そんなグループがあっちにもこっちにも。観察していると、斜塔をバックにさまざまなポーズをとっている。ははあ。一番多いのが、斜塔の右に立って、手を上げて倒れるのを支えるポーズをとっている人。そのほかにも、蹴る格好や、押し倒す格好などなど。写真が出来上がったときに、斜塔に対して何かアクションを起こしている構図になる。自分が斜めになって斜塔と平行に立ち、写真上では斜塔をまっすぐになっているようにポーズをとる人もいれば、斜塔と体を交差させて完全に倒してしまう人もいる。写真の楽しみ方を、いろいろ「発見」させてくれるのも、ピサの斜塔ならではなのかも。ガリレオの知識欲が刺激された理由が分かったような気がした。