はしもとランド(橋本新聞販売株式会社)
HOME
はしもとランド通信
お買い物情報
イベント・レジャー・スポーツ
読者のひろば
ASAマイタウン
地域・生活情報
会社案内
購読申込み
リンク

★「キャメルンからの手紙」TOPページへ★


キャメルンからの手紙 第10話
文章:空羽(く・う)ファティマ  イラスト:Meg(メグ)&ナイル

「白めしおにぎりの悲劇」の巻

 今日は小2の娘、Nの運動会。本の出版準備に忙しい私を気遣い、友人Megがお弁当のおかずを作ってくれるというので、それは助かると私は水筒を冷蔵庫に前日から入れて冷やし、大人用に玄米を炊き(我が家は健康のためいつもは玄米だが娘は白米を外食の時のごちそうと思い特別な日は白米を食べるのを楽しみにしている)Nには別に白米を炊いた。朝早く起きて玄米と白米のおにぎりを心を込めてにぎった。さておまちかねのお昼になった。凝りに凝ったかわいいおかずに娘は大喜び!「ママの白めしおにぎりも食べて?じゃーん!」とフタを開ける。えっ…!? 私は青くなった…。な…ないっ!! 白おにぎり様が入っていないのだっ! 玄米おにぎりしかない! どっどーして!? Where is 白おにぎり!? 私の頭はマッハ5でかけめぐる。確かに炊飯器のスイッチを夜中に押した…。上手に炊けてた…。そして間違いなくこの、私の、この手でにぎった。Nの好きな梅干しも忘れずに入れた!なのに、なぜ、ない?大事な大事な今日の主役級の白おにぎりが…。「あっ!」私は声をあげる。もっもしかして…あ――!! そうだった!くう〜!わかった…!わかったぞっ! 残った白飯も次の日のおやつにあげようとおにぎりにして冷凍したのだ。その時、私ったらうっかり持ってくる運動会の分まで一緒に、冷凍庫に入れちまったらしいっ! OH MY GODである…。ひどい。おばかにもほどがある…。本当に自分が情けなくなり穴があったら入りたいとは、まさにこれだと、うなだれた。すると!そこに友人ママ、モグの手が伸びてきて言った。「はい、白めしおにぎり」。  これぞ神の御手!ありがたい!それをいただいて娘になんとか無事に白めしおにぎりを食べさせることが出来たのだった。きっとモグは大きな徳を積めた事だろう! そして次は本日の目玉、50M競争である。この日の為に娘はものすごく頑張って練習してきた晴れの日!「ガンバレ!順位は気にせず、とにかく最後まであきらめずに走ることが大事なんだから!」「うん!わかった!」「ハイ!行ってらっしゃい!」気合いを入れ娘の背を押し送り出す。ビデオはパパでカメラ役が私だ。一番前を陣取りカメラを構える。うー! 私までどきどきするう! ヨーイドン! 私の目の前を走り抜けた時、シャッターを切った。ハズ…だった…。なのに…。なのに…。画像には人っ子一人写っちゃいないではないか…。うそお〜!あ″―! 本日2度目の失態にもう目の前真っ暗である。もう穴くらいじゃたりないよう。で…、でもパパだって娘の幼稚園のおゆうぎを一時停止のままビデオとってたっけ。仕方ない。許してもらうしかない。私なりに精一杯やった結果がコレだったんだ。そう!Nに言ったように"結果よりがんばる気持ちが大事"なのさ!大人も!そうに決まっている!となんとか必死に自分を慰め、「いいやコラムのネタにしよっと」と開き直るしかないダメママであった。トホホ…。   
キャメルンからの手紙 第9話 
文章:空羽(く・う)ファティマ 切り絵:海扉(かい・と)アラジン

「子育ては自分との戦いなのだぁ」の巻

3 匹の大きなトラが周りにいて、そこでランチを食べるレストランに私は居 た。グルルとのどを鳴らすトラをすぐ横目に見ながら私はオムライスに手を伸 ばす。その時トラが手に噛みついた。私は必死にトラと格闘する。ものすごく 怖かった。トラはまた私に飛びかかってきた。ピピピピ…、その時枕元の目覚 まし時計が鳴った。あまりにお気楽な鳥のさえずりの音で。その落差に私はホッ として泣けてきた。「うっうっ…、ママ、すごーくすごーく怖かったあぁ〜! 今ね、トラと戦ってたのぉ〜!」と言って隣に寝ている娘に抱きついた。「ママっ ておかしーい!」「だって夢の中では夢ってわからないじゃない?! ママ本当に 怖かったのにー!わあーん」8 歳になったばかりの娘は大人ぶって泣いている ママの頭をポンポンとなでて「あっ!今日から2 学期だった!」と珍しく飛び 起きた。ああそうだった。寝坊できてた天国の様な夏休みは昨日で終わってし まったのだ…。今日からまた戦争の様な忙しい朝が始まるのだ… Oh! My God! である。私は朝はグテグテするのが何より贅沢と思える人間なのだ。娘を産ま なかったら今も気楽に目覚ましを使わない生活をしていたことだろう。子ども のいる人生は楽しいけれど大変な事もたくさんある。早起きに学校の事etc…。 自分のペースで進まない事ばかりだ。やっと仕上がったはずの夏休みのドリル が昨日から見つからないのだ。「ちゃんとしまっておかないからだろう!まっ たくもおー!」パパが呆れて怒る。確かにそうなのだ。何度言っても片づけな いのだ。このヒトは…。いつになったらカタヅケルという芸ができるようにな るのだろうか。それともこのまま片づけられないオトナになってしまうのか…。 考えると心配になるが今は未来の心配よりまず今、学校に送ることが先だ。う んちはした。着替えもした。日焼け止めOK。あっ!あと水筒にお水を入れて。 おはし。ハンカチ。ティッシュOK。うわばき持った?あー帽子は?エンピツ 削ってあるの?……。また今日からこういう日々が始まるのだ。それでもお風 呂の中で1 人で立てるようになっただけいいか。赤ちゃんの時はもっと大変 だった。何しろ1 人で座っていることさえ出来なかったのだしね。コップで1 人で飲めるようになったのも進化だ。ストローでなくては飲めなかったし。わ んこの様に体を支える為のリードみたいなヒモなしでも歩いているし。家の電 話番号も暗記できたからもし迷子の時も安心だし。そうやって出来なかったこ とが一つひとつ出来るようになっていった。でもその分口もたつから、むかっ とする生意気な言葉も日に日に多くなってき ている。

▲切り絵:海扉(かい・と)アラジン
「へー!ママってそんなことで怒るん だぁ?!」って にやっと笑いながら、こっち が真剣に怒っている時に冷静に言われた時は カーッと血がのぼった。そして必死にこれ も成長の証…、大きくなったってことだ…" と自分に言い聞かせるのだった。子育ては自 分との戦いでもあるのだったあ〜。
キャメルンからの手紙 第8話 
文章:空羽(く・う)ファティマ 切り絵:海扉(かい・と)アラジン

百点満点の子育てなんて誰にもできない

2月の朝日新聞のコラムで私は、「今の娘には今しか会えないのだから、その時その時の成長の過程を味わい楽しもう」と書いた。だが一方で育児を楽しむ余裕も持てず育てるだけに全力を注がなくてはやっていられなかった大変な時期も私自身あった。妊婦期は胃酸が口の中に上がってきて口の中はいつも真っ白にひび割れて、一日中渋柿を口に含んでいる様にひどく苦かった。それはつわりの時期だけでなく1年間ずっと続いた。気が変になりそうに何を食べてもまずかった。そして丸2日かけて、のたうちまわって出産した後も"楽しい育児"はやってこなかった。産んだ直後から出産疲れのまま、あまりの痛みに脂汗を流しながら3時間ごとの授乳は母としての喜びとは程遠く、ただ責任感だけで耐えた。乳首は裂け、石のように固まったおっぱいに私は悲鳴をあげて泣いた。それは娘がおっぱいを欲しがった1年以上続いた。だから、髪をふり乱し化粧をする余裕もなく「育児を楽しむなんて無理!!」と叫ぶギリギリの所で必死に頑張っているママたちの気持ちはよ〜くわかります。でも育児書には、笑顔でおっぱいをあげ子供をあやす優しく美しいママ像がかいてあり、そのギャップで自分を責めてしまうのだと思う。私が痛くて泣きながらおっぱいをあげている姿を見て母は言った。「そんなにストレスをためながらおっぱいをあげてもいい母乳は出ないわよ」。確かに自分でもそう思っていた。でもどうしようもなかった。それでも粉ミルクより母乳で育ててあげたくて、おっぱいの痛みから気をそらせる様、夫に強く足をつねってもらいながら必死にあげている母乳なのに、そこにストレス物質が入ってしまっているのかと思うと悔しくて悲しくてワンワン泣けた。けれど私は、娘が自分からもうおっぱいはいらないと言うまでなんとしてもがんばろうと心に決めていた。母乳という白い血で、自分の血で我が子を育てたかった。それが子育てというものを何も知らなかった私の初めての自信になった。けれどそれぞれの都合で母乳で育てられなかった人もいるだろう。でもそんな自分を責めないで、寝る前の本読みとか何か他の事で補えばいいと思う。出来なかった過去を悔むよりこれから先の子供との関わり合い方を考えた方がいい。育児ママを一番追いつめるのは「こうするべき」という自分で作ったクサリで自分自身を縛りあげていることだ。クサリでしめつけられた手では子供を抱く事もできない。百点満点の子育てなんて誰にもできない。何かひとつ「これだけは」と決めた事をしてあげたらそれでいいと思う。

▲切り絵:海扉(かい・と)アラジン
私の場合、それは授乳だった。そして育児を楽しいと思える時期は人によって違う。激痛の授乳が終わってから初めて私は心から娘をかわいいと思うゆとりが心にできた。今は大変な思いで子育てをしている人でも必ずその時はやってくる。今、私は娘がとてもかわいい。
キャメルンからの手紙 第7話 
文章:空羽(く・う)ファティマ 切り絵:海扉(かい・と)アラジン

ドロボーポイント大作戦の巻

娘が小さい頃はウソをついていても「それも成長の証」ととらえて叱らなかった。でも7才になった娘のウソはかなり高度になり、親が知っておかなくてはならない大切な事もだまされたりして困るようになったので、かの有名なセリフ「ウソつきはドロボーの始まり」の出番となった。「ママはね、今ナイルの言う事を信じて聞いていたのに、ウソをつかれて悲しかった。そんな風にウソをついて人を裏切る事をしていると、大人になって悪い事をするドロボーさんになっちゃうって知ってる?」「ウン、シッテル」「さっきナイルは2つウソをついたから、神様はドロボーポイントを2つナイルにつけたと思うよ。これ以上ふえるとドロボーになっちゃうから気をつけて。牢屋に入りたくないでしょ?ローヤって、わかる?」「ギザギザのこういうトコ」「そう。ローヤに入るとおいしい物ももらえないし、コビト探しにも行けないし、フラダンスも習えないし、♪上を向いて歩こう♪のピアノももう弾けなくなるよ。どう?ドロボーになりたい?」「ナリタクナイ」「じゃあ、うそはやめてね」「うん」。脅すしつけは良くない事は知ってるが、まあ、このくらいなら良しとしよう。この「ドロボーポイント作戦」がいつまで効くかはわからない。もう少し大きくなれば「うそついたからって絶対ドロボーになるって決まってなんかないしっ!」とか口をとんがらせて言うのだろう。でもその頃には自分でついたウソは自分の責任においてつけばいいだろうから。本来子供は親の言う事なんか聞かない生き物である。それを知りつつ「キーッ!」となってしまうのが母親でもあるけれど。今日は娘の熱が4日目になっても下がらず心配になって子供の医学書を読みまくったら、そういう本には怖い事がたくさん書いてあり余計に不安になり…、おまけにヨーキーのポロンも足のお皿が急に外れ…、不安の中やっとベッドに入ったら緊急地震速報が鳴りひびき、原発の放射能の事とか頭の中をガンガン回った。3.11以来子供の安全を願うママとしては1日たりとも原発が頭から離れる事はなく、いつ落ち着くかも不明な先の見えない現状は世の中の親にとっては本当に辛いものだと思う。そして子供を亡くした人の事とかも考えてしまったからもう眠れなくなってしまった。こんな不安だらけの世の中だから、だからこそドロボーポイントスタンプの間抜けな顔など想像しながら笑わなくっちゃとも思っている。「深刻さは魂の病気だ」とインドの悟った人が言っていた。人間は楽しいから笑うもの、と思われているが笑っていると楽しくなってくるものだという。

▲切り絵:海扉(かい・と)アラジン
さあ、育児に疲れて眉間にタテ線寄せているママ、わかっちゃいるけどそうなっちゃうママ、完璧なママ像を求めて息切れしているママ、育児本は置いて、子供と一緒に消しゴムでドロボースタンプでも作ってゲラゲラ笑ってみてください。「うそつきはドロボーの始まり〜」なんて言葉を本当に使う日が来た事に笑っているファティマママより
キャメルンからの手紙 第6話 
文章:空羽(く・う)ファティマ 切り絵:海扉(かい・と)アラジン

『いちぢくの木の上で』…私の子供時代

昔の子供たちは子供だけの世界を持っていて、そこには彼らなりのルールがありその中で遊んだりケンカをしたりして過ごしていた。誰かが誰かをいじめても、いちいち今みたいに親があやまりに来る事はなかったし、誰の家で遊ぶのにも親の許可なんて必要なかった。子供は大きな自由を持っていた。そして子供自身が決め考えた責任を知らず知らずのうちに学んでいく環境がそこにあったように思う。自分が子供だから力がないとか出来ない事があるとか考えていなかった。なんとかしようとした。庭にハツカネズミやうさぎやカメやらたくさんの生き物を飼いチビッコ動物園と称し、その基地として家も建てた。まず深く深くシャベルで土に穴を掘り4本の柱を埋め、そこに材木を集めてきてクギで打ちつけていった。犬小屋の戸を窓につけたり、必要なものはいろんな場所から拾ってきた。それは子供にはかなり大変な作業であり、一日中、陽が落ちるまで無心にクギを打ち続けたり穴を掘り続けなくてはならなかった。朝は一緒にやっていた他の子供たちもたいてい疲れて途中でどこかに行ってしまい、私一人残ってやっていた。子供の世界はみな自由で強制はなく、全ての苦労も遊びととらえていた。そして夏休み中かかってついにトタンの板を屋根にのせ完成した日の喜び! すきま風だらけの雨もりする大きな犬小屋の様なボロ家だったが、誇らしい自分達のお城に思えた。自分のイメージしたものをいろいろ工夫して努力して作り上げた喜びと自信は、子供心に何よりの栄養となり経験となったと思う。無我夢中で何かに打ち込む集中力と忍耐力。それはどんな高価なおもちゃからも与えられる事は出来ない宝物だ。あの時の達成感や自信が今の私を支えてくれていると思う。それからその頃の私のお気に入りの場所がいちぢくの木の上の特等席だった。そこにクッションやお菓子や本を持ち込み、流れる雲や風を感じさせながら空と仲よしになっていった。今、私がラクダのキャメルンの作家として楽しいストーリーを書けるのは、子どもの頃に学んだ自信や達成感や想像力や空や雲と風と共に過ごした日々があったからだと思う。あのほったて小屋があの頃の私には確かにピカピカのお城に見えたように、キャメルンシリーズに登場するキャラクター達は私にとっては架空の作り物ではなく、共に人生を生きてきた存在であり、その名は想像力であったり夢であったり自信であったりして、それらはあの子供時代に遊びの中で得た私の中の宝物の中にいる者達なのだ。

▲切り絵:海扉(かい・と)アラジン
物語を書くという事は、子供時代の遊びの延長でありわくわくする楽しさがある。管理された中で育つ今の子供達に少しでもこの喜びを伝えていけたらなと、かつて子供だった私は思っている。「心の力」を伸ばすチャンスを彼らに意識して与えてあげたいと思う。そこにこそ人間力があると信じているからだ。生きるのに必要な力は、お金より物の豊かさよりまず強く豊かなこの力だ。
キャメルンからの手紙 第5話 
文章:空羽(く・う)ファティマ 絵:Meg (メグ)

◆「魔女っ子ナイルの1人旅」の裏話公開◆

私の書いているキャメルンシリーズBの「魔女っ子ナイルの1人旅」の細かくかわいいイラストが大人にも大好評だが、それを描いたのは元ヤンキーの友人メグだ。彼女はそれはひどい虐待を日々家族中の人から受けて育ち、はじめて私の店に来てカード占いを受けた時、私をじっとにらみつけて彼女はつぶやいた。「私は誰も信じないっ!」私は答えた。「当然だと思う。そんなひどい事をされたら誰だってそう言うよね。でも信じなくてもいいけれど、私はあなたを裏切らない。あなたは本当はきれいな心を持った人だと思うから」。その時、生まれて初めて人を信じる気になれたと後から聞いた。今、彼女は私の娘を私が講演ででかけたりマッサージの仕事をしている時にみてくれながら、子供に人気のクレープ屋さんをしている。不良だった面影など全くそこにはない。娘を主人公にしたこの本の表紙は、彼女がチベットの祈りを込めたマンダラをイメージして、娘ナイルが元気に育ちます様にと心を込めて描いてくれたものだ。何時間もかけて完成したその絵を描きながら涙が止まらなくなり、「自分の命よりナイルの事を大切だとその時思えた瞬間、私の全ての暗かった過去の傷も癒やされた」と彼女は言った。愛の力だと思った。そして今迄そんなつらい中生き抜いてきたがんばりに神様がごほうびをくれたのだろうと。シリーズCの「黒い孔雀ウパシナとの出会い」の本の中に、不幸を呼ぶ鳥として皆から嫌われているウパシナにラクダのキャメルンが「君は優しくていい子だと僕は思うよ。僕は君を信じるよ」と心を込めて伝えるシーンがあるが、人は自分さえ自分を好きになれず心を閉ざしている時は、誰か1人でもその人を心から信じ受け入れてあげるならどんなに人間不信になっている人もだんだん心を開き、一歩踏み出す事ができると私は信じている。その事を教えてくれたのは、かつてすさんだ目をして私をにらみつけたメグだ。人は変われるのだと彼女は教えてくれた。人の心を傷つけるのが人ならば、人の心を救うきっかけを与えられるのも又、人なのだ。けれど、一番大切な事は自分で自分を救いたいと思える熱い想いだ。最後にその人を救うのは他人でも神でもなく本人次第なのだと、凍える真冬に自分の弱い心に負けそうになると1人黙々と夜道を走ったと彼女に聞いて思った。
人は強い。人はこんなにも強い。あの不良だったきつい目をした人間が、こんなに優しくあたたかなイラストを描ける日が来るなんて本人ですら想像もしなかっただろう。けれどこれは事実であるのだ。学校に講演に行きこの話をすると、生徒達が泣きながら「私もめぐちゃんをみならってがんばります」と言ってくれる。

▲絵:Meg (メグ)
ウパシナの本の帯にはこう書いてある。「生きていること、明日を信じる力。生きていること、許す力。生きていること、あきらめない力…。」どんな人にも必ず新しい朝はやってくる。さあ、上を向き一歩を踏み出そう。あなたはあなたが望む人になれるのだ。
キャメルンからの手紙 第4話 
文章:空羽(く・う)ファティマ 切り絵:海扉(かい・と)アラジン

◆しょえなかったランドセル◆

「ママただいまー!」「おかえり!」学校から娘が帰ってくる毎日の見慣れた風景。こ れが、多くの東北のママ達には2度と戻らぬ思い出の風景に変わってしまった。2時 46 分。大地震が起きたその時間は、明日卒園式を迎える元気な子供たちを乗せた 幼稚園バスがママの待つ家へ送っている時間だった。「ただいま!」といつもの様に帰っ てくるはずの愛しい我が子の名前を半狂乱で呼びながら探し回るママが見たのは、津 波に飲み込まれたバスの痛々しい姿。怖かったのだろう、お友達と抱き合う様に倒れ ていた動かぬ我が子をおんぶして家に連れて帰ったという悲しすぎる記事を読み、涙 が止まらなくなった。きっと部屋には入学式に着るはずだった新しいお洋服やピカピカに 磨かれた靴やランドセル、ママの手作りのうわばき入れや体操服袋が持ち主をなくして ポツンと取り残されているのだろう。もしその日の朝、「今日は行きたくない」と言った 子をなだめて送り出したママがいたら、どんなにか心を痛めているかと思う。そして、こ んなふうに亡くなった子供たち一人ひとりに悲しいストーリーがあって、たくさんの思い出 や明日への夢や希望があったのだろう。悲しすぎる、かわいそうすぎる現実。そしてこ こから、人は立ち上がり前を向き歩いて行くしかないのだ。生きていくという事はそうい う事なのだ。1 ケ月をすぎても治まらない、余震と呼ぶには大きすぎるM6レベルの揺 れが続く中、大切な人を亡くし、家も仕事も失くして尚まだ試練の中にいる人達はどん なにつらいかと思う。でも世界中の人達が日本の為に祈り力を貸してくれている。インド のホームレスの人も「日本人からはお恵みを求めないから、その分寄付をして」と言っ ているという。今迄の日本はその経済力の上にあぐらをかき、本当に大切なものを失っ てきた。このつらい中にいても強く優しくがまん強く生きようとする東北の人の中に、本 来の日本人が持っていた魂を私達はもう一度学び直したいと思う。空気と水という人間 にとって生きていくのに最低限必要なものさえ安全でなくなり、当たり前だった事が当た り前でなくなった今、募金・節電・ボランティア…生きているこの命に感謝し、日々の 日常を送れる奇跡に手を合わせ、1 日でも早い日本の再生の為に自分に出来る事を 1つ1つやっていこう。明日の命がわからないのは東北の人達だけではない。だからこ そ毎日を大切に悔いのない人生を送ろう。大丈夫!日本は強い!寒さに当たってはじ めて美しい花をつける桜の様に、私達はこの困難を乗り越え前よりもっといい国にしよう! しょえなかったランドセルを墓前に飾りな がら、それでも前を向き生きようとしている であろうあのママに恥ずかしくない生き方を したいと思う。

▲切り絵:海扉(かい・と)アラジン
「おかえり!」と我が子を迎 えられる幸せをこの胸にたたきこもう。あた たかなその体を抱きしめられる奇跡。親子 ゲンカができる奇跡。それらは何よりかけ がえのない幸せな事なのだと心から思う。
キャメルンからの手紙 第3話 
文章:空羽(く・う)ファティマ 切り絵:海扉(かい・と)アラジン

「子供の命を守るのは誰ですか?」

何度でも言おう。子供の命を守れるのはその子を産んだ親だ。先生じゃない。友達じゃない。最後の最後の所で自殺にストップをかける"クモの糸"はママのへその緒だ。その命のつながりが命綱になると私は信じている。先日の私の保育園の講演会で無記名で書かれた男性の筆跡の感想には「子供の命の責任が全て親だというのは重すぎる」とあった。そう!重いのだ!親の責任は重くなくてはいけない。だって命は重いものだからだ。その重たくかけがえのない命をあなたは育てているのだから。その人に聞きたい「では子供の命を守るのは誰ですか?」と。もしかしたらこの人自身がその親に責任ある子育てをされなかったかもしれない。けれど、それなら尚の事、自分はちゃんと子供を守れる親になってこそ、この人のトラウマも癒されるのだと思う。 私は彼を責める気はない。反論もOKだ。意見をいうのはいいことだ。でも人に意見をいう時はきちんと名を名乗り堂々と言ってほしい。自分の意見に責任をもってほしいと思う。私だって一般の人に向けてこうして言いたい事を言うのは勇気がいる。でも声をあげたいと思う。もうこれ以上虐待死や自殺する尊い命が増えるのは耐え難いからだ。確かに出る杭は打たれる。だからみな声をあげない。その方が安全だからだ。けれど本当にそれは"安全"なのだろうか?全てはひとつだ。自分の子供の育つこの社会が良くなくては自分の子も幸せではなくなる。みんなが幸せにならないと。みんなが声をあげ本気になって小さな命を守らないと! 世の中はいろんな価値観持つ人がいて、いろんな意見がある。そして全ての事にはコインの裏表の様にプラスの面とマイナスの面があり両面を持っている。1つの意見が正しいわけではない。それはよくわかっている。でも"今の自分はこう思う"、ということを背筋を伸ばして大きな声で言うことから何かが始まると私は信じている。今、神様が私に「執筆はあなたに向いていないからやめなさい」といっても私はやめない。「神様それはあなたの勘違いです」という。それは誰が証明してくれなくても誰にほめられなくてもいい。龍馬が弥太郎に「まぶしすぎる光に人は反発する」といわれた時、「それはそうかもしれないが己の信じた道を行くしかない」と答えた様に私は私の信じた事を1つずつやっていくしかない。立ち止まったり悩んでるヒマはないのだ。こうしている内に小さな命が、今もこの瞬間に母の手で危険にさらされているのが今の悲しい現実だから、だから一緒に声をあげて下さい。 あなたの大事な子供にあなたの命はかけがえのない宝物だときちんと言葉にして伝えて下さい。そして少しでも虐待を疑われる家を見つけたら迷わず通報して下さい。

▲切り絵:海扉(かい・と)アラジン
子供の命を死へ追いやるのは、その親だけでなく周りの無関心な大人達も悪いのだ。連絡先が判らないなら110番でいい。社会を変えるのは政治家じゃなく私達市民の声なのだ。そして子供の命を守るのはまずはその子を産んだ親なのだという責任と重さをもう一度きちんと考えて欲しいと願う。
 
キャメルンからの手紙 第2話 
文章:空羽(く・う)ファティマ 切り絵:海扉(かい・と)アラジン

私は小・中・高の学校によく講演に行く。先日、ある小学校から依頼を受けたので子供に自信を持つ大切さを伝えたいので「私の新作の絵本"魔女っ子ナイルの1人旅"の本を本の主人公のモデルになっている7才の娘をつれてうかがいます。本人の役は本人にしてもらう為です。その方が子供達も興味を持って聞いてくれるし自分と同じような年の子がみんなの前で堂々とセリフを言っているのを見て自分もがんばろう!と思ってくれるので」と学校側に伝えると、たとえ1時間でも早引きをして娘さんに来て頂く事は困るといわれた。どんな理由であれ早引きを良しとすることは学校側としては言えないらしい。たった1時間の早引きである。本人も行きたいといっているし、娘自身にもいい経験になるし、聞く側の生徒達も、前回ちがう小学校でやった時、とても好評だったので、と説得してみたがやはりダメだった。魔女っ子ナイルが乗れない魔法のホウキにがんばって乗る練習をして自信というものをはじめて持ち、砂漠にいるラクダのキャメルンに会いに行くという話が本の内容なのだが、この本の中でもナイルの母が旅に出る娘を心配しつつ見送るシーンがあるが、今の学校はあまりにも規則を重んじ父兄から苦情を恐れるあまりに子供の立場に本当に立ったワクワクする気持ちを育てる教育を忘れているように度々思う。幼稚園を卒業したばかりの子に45分授業が5時間というつめこみ教育。ルーペでよく見なければ判らないほどの間違いを細かく指摘する漢字の宿題。運動会ではひざに白のサポーターをつける事さえみんなとちがうことはまずいと、脱がされた。強い紫外線から目を守るためのスポーツサングラスもダメだと言われ、熱中症対策に首に巻いたバンダナもはずされた。登下校は寄り道もできない集団下校だ。1つ1つが大人に管理されあきれるほどのたくさんの規則…。 この中でどうやって個性や創造力を育てるというのだろうか?少しでも周りとちがうと怒られる教育。顔を声もみなちがうのに。親へ向けての講演では手を挙げて自分の意見を言える人はほとんど居ない。それは自己主張や個性を育てる教育を学校ではしていないからだ。自信というものは自分を信じる事の出来る力だ。それを育てるのは子供自身の力で達成感を感じたり自分の意見をはっきり言える事が出来ないとだめだと思う。私達人間は皆、自分自身の命の光を輝かせる為に生まれてきた。生きる事って素敵だと思える子供たちになってほしいならまずは大人自身が自分をすきになる生き方をしなくてはならないと思う。

▲切り絵:海扉(かい・と)アラジン
「こうしたら転ぶからやめなさい」と教えるより、転んだら立ち上がる力を教えたい。転ぶことは生きていればたくさんある。それを1つ1つこやしに出来る力を持つ子供になってほしいと思いませんか?私は娘に立派ないい子になってほしいと願った事はない。彼女らしく楽しく生きてくれたらそれが何よりだと心から願っている。
 

キャメルンからの手紙 第1話 
文章:空羽(く・う)ファティマ 切り絵:海扉(かい・と)アラジン
切り絵:海扉(かい・と)アラジン

 「おじいちゃんのいる幸せ」   
最近コラムを依頼され、ある会社の会長さんにお会いした時、一番印象に残ったのはお孫さんの写真を本当に嬉しそうに見せる会長の笑顔だった。ものすごくお孫さんを愛しておられる事が伝わってくる笑顔だった。私は先日97才でおばあちゃんを亡くしたのでこんな風に優しいおじいちゃんと休みの度にお出かけするというお孫さんはなんて幸せなのだろうとじんとしながら思った。でも小さい頃はおじいちゃんやおばあちゃんのいる生活を幸せだとは気付いてなかった。それは当たり前の風景になっていた。居て当然と思っていた。でも今おばあちゃんを亡くしてみてつくづく想う。あの時の私はなんて恵まれて幸せだったんだろうって。母に怒られて泣いても頭をなでてくれるしわしわのあたたかな手があるということは子どもにとって大きな助けになる。逃げ場があるという安心感は大事だ。親はきちんと子供にしつけをしなくては、と思う故についついきびしく接してしまう。でも子供にとってはそれが理解できずただ叱られたという悲しみで一杯になってしまうのだ。そんな時その親と子の間にたって「ママが怒るのはあなたを嫌いなわけじゃないんだよ」とその理由を抱っこしながら伝えてあげればいいと思う。そしておじいちゃんやおばあちゃんがいて命のバトンがママやパパに渡されたからこそ、その子が生まれたという事を小さい内から教えてあげてほしいと思う。その命のバトンはそのまたおじいちゃんとおばあちゃんと…ずっと続いてきていることを…。 「だからあなたの命はたくさんの人達に愛され守られているとっても大切なかけがいのない命なんだよ。いっぱいのおじいちゃんとおばあちゃんがいつもお空から見守っていてくれるからね」っていう事を伝えられた子供は自分の命の大切さを知り、回りの友達の命も大切に出来る子供になると思う。もう、これ以上子供の自殺などという悲しい事件が起こらない事を一人の母として心から願って…。

 
橋本新聞販売株式会社 〒370-0063群馬県高崎市飯玉町42
フリーダイヤル.0120-004950 Tel.027-361-4950 Fax.027-361-5009
Email. info@hashimoto-land.com
 
(C) Hashimoto Shinbun Hanbai co.,LTD All rights reserved.
右クリックするとアラートを表示(右クリック禁止)