「どんな辛い事でも時が過ぎれば必ず薄らいでいくものです。“時ぐすり”という薬が治してくれますよ。どうか、どうか乗り越えて下さい。出会いがあれば別れもあり、友は通りすぎるものといいます。約束して下さいね。無理してでも食べてください。なんでもいいから食べてください」。
今、人生最大の危機の中でうめいている私にくれたAさんの手紙だ。なんでもいいから食べて下さいなんて、ママみたいだ。時薬…、なんて素敵な言葉でしょう。なんて優しく心にしみる言葉でしょう。そうだよね、いつかこの今の引き裂かれるような胸の痛みも思い出に変わる。生きていれば、生きていれば、1日1日をヒーヒー言いつつも過ごしていけばやがて全ては過去になるのだ。ずっと続く悲しみなんてない。変わらぬように思えても紙一枚づつ薄れていくはず。目を閉じて。きのうより少し深く息を吸う。明けない夜はないとつぶやきながら。ピンチはチャンスとつぶやきながら。1つの扉が閉まった時は必ず新しい扉が開く…冬来れば春遠からじ…。必要なことしか起きない…。
今迄私自身が自らの著書や講演で話してきた言葉を自分自身に言いきかせる。ここで人間不信になったり鬱になったりしたら私はエラソーな事を口先で話していた事になるのだ。いやだ。そんな自分にはなりたくない。
小さい頃からずっと心にある想いがある。「何か大きな力が自分を守ってくれている…」その想いは消えずに今も私の中に在る。「それは御両親が心から愛して育ててくれたおかげですね」と昨日ラジオの中で私がその話をしたらアナウンサーがそう言ってくれた。きっとそうだと思う。でもそれだけではない人を超えたもっと大きな宇宙の力みたいなもの…、そういう力が自分を見守ってくれる事を私はいつも感じていた。どんなにへこんでいる時も。泣きくずれている時も。その想いは消えることなく闇を照らす灯のように私を暖めてくれていた。その光に導かれて私は今日まで生きてきた。人によって傷つけられ人によって救われながら。人は怖いと思いつつ支えてくれる仲間の優しさに涙する。結局人は人の中で生きていくしかないのだ。
今回の事で何が一番辛いかって、娘にもその影響がいく事だった。娘の前で元気なママを演じつつ子供を守る難しさを知る。日常は無常に過ぎてゆく。やらなくてはならない事がたくさんある。PTA会長、執筆、打ち合わせ、ラジオ収録、そして家事。習い事の送り迎え。生きていくってこんなに大変だ。泣いてるヒマもない。でもこうしてコラム書く時間を持てるのも娘を遊ばせてくれる友人達のおかげだ。神様は空の上でなくこの友人たちこそ今の私には神様にみえる。大丈夫。こうして1日ずつ過ごしていけばいつか暗いトンネルも終わる。いずれ全てが思い出になる。時薬が効いて、あんなことがあったねと笑える私にいつか会える。明日はいつも新しく私を迎えてくれるだろう。