●歴史の裏舞台を見届けた花街
先斗町(ぽんとちょう)とは鴨川に沿った三条通りの一筋南から四条通まで続く、石畳の細い通りの花街をさす。江戸時代初期、ここは元々鴨川の州であったが護岸工事で埋め立てられた。その頃は高瀬川を通る高瀬舟の船頭や旅客目当ての水茶屋位しかなかったが、安政年間に芸者稼業の許可が下りると祇園と並ぶ花街として発展していった。
ここの人家が河原の西側に建ち、先ばかりに集中したところから先斗町と呼ばれるようになった。語源についてはポルトガル語のPont(先の意)から来たとか、通りを鴨川(皮)と高瀬川(皮)に挟まれた鼓に見立て、叩くとポンと音がするというのをもじったなどと言われる。この細い通りに100軒以上の飲食店がひしめきあっている。
幕末争乱期の抗争の舞台でもあった。近くには土佐藩邸、坂本龍馬が身を寄せていた材木屋などがあった。新時代を夢見た維新回天の志士達が闊歩していたに違いない。見回りの新撰組の目を逃れて、どこかの店で倒幕の密談などをしていたのだろうか。時には佐幕派と勤皇派が白刃を立てた血なま臭い地でもあった。
先斗町の歌舞練場で春と秋に行われる「鴨川おどり」は、東京遷都後、沈滞した京都の繁栄を願って京都博覧会で舞妓さんや芸妓が舞ったのが始まりである。今も「一見さんお断り」の老舗があるやに聞いているが、そんな店には用(縁)はない。普通の市井の庶民がそんな所に行っても窮屈なだけだ。気楽に入れる店にも良い雰囲気の所はあまたある。
京の夏といえばやはり鱧(ハモ)。先斗町の馴染みの店で、吸い物に舌鼓を打つと京都に来たことを実感する。お造りも中々の味わいである。店の板前さんや女将さんの京言葉を聞くのも楽しい。酒に弱い私はビール2本でもうほろ酔い機嫌。日常から離れた束の間の贅沢な時間が流れる。夜も更けお客もまばらになった頃、やっと重い腰を上げた。