●舎利弗に目連・・・釈尊の教えを継いだ弟子達 ○興福寺
釈尊の十大弟子の一人、舎利弗は智恵第一と言われ、神通第一の目連と共に釈尊の弟子達の中で双壁をなした。初めは他のバラモンの弟子だったが、ある時釈尊の弟子から説法を聞くと、その教えに感銘を受け親友の目連を誘い釈尊の門下となった。舎利弗は学問・人徳に優れ、釈尊でさえも一目置く存在となった。
興福寺の国宝館で舎利弗にまみえた。森羅万象に通じ、あらゆる思想、哲学を論破し釈尊の教えを広めた。粗末な袈裟をまとったその姿は、私を見つめ宇宙の真理を説かんとするかのようだった。その前に俗世界の些細なことに右往左往している浅はかな自分がいる。
他にも説法第一の富楼那、忍辱第一の羅ご羅(※)など十大弟子立像が整然と並んでいた。厳しい修行中であろう姿に、厳かさを感じ襟を正さずにはいられない。弟子達は全員インド人のはずだが、丸顔も多く我々に近い顔立ちで親しみやすい。当時インド人に会った日本人など皆無だったはずなので、おそらく制作者は人種による差異など念頭になかったのだろう。
▲人々の信仰を集める本堂(興福寺)
仏教はやがて世界宗教に成長していく。釈尊の教えの流布に生涯を懸けた後継の弟子達の功績である。師の教説がいかに素晴らしいものでも、それを受け継ぐ弟子の奮闘がなければ広まることはない。敵対勢力の迫害や妨害、人々の無理解を乗り越え一人また一人と信者を獲得していった。3千年にわたって弟子の人類救済の戦いが連綿と続いた。
舎利弗と目連は釈尊より先に亡くなったが、師・釈尊は悲嘆を乗り越え人類の救済の法を残した。その精神は他の弟子に受け継がれ、仏教の教えは日本にまで及んだ。威容を誇る五重塔など、興福寺境内の数々の国宝建築の荘厳さに目を奪われるばかりだが、今日に至るまで数々の殉教者のドラマがあったであろうことにも思いをはせたい。
▲奈良を代表する五重塔(興福寺)
(※)羅ご羅・らごら。("ご"は、ブラウザやPCによって正しく表示されないことがあります。
漢字はこちらでご確認ください。)http://www.weblio.jp/content/%E7%9D%BA
●周辺MAP
【メモ】
●十大弟子
釈尊の弟子の中で、特に高名な10人。智恵第一、説法第一などそれぞれに特徴がある。
●舎利弗(しゃりほつ)
釈尊門下、第一位の弟子。他派をよく破折し、多くのバラモンを釈尊の門下に導いた。
●目連(もくれん)
神通力を誇ったが、餓鬼道に落ちた母を神通力では救えず、釈尊の教えに従って救った。
●興福寺
藤原不比等が創建した藤原氏ゆかりの寺院。国宝・阿修羅像のある寺院として有名。
【アクセス】
近鉄奈良線「近鉄奈良」下車。東へ徒歩10分。